宮城県を後にして20年が過ぎますが、ずっとお電話などでお付き合いしている方が数人います。
先日お電話をいただき、長話をしてしまったのですが、その時何気なく網膜剥離で手術をしたことを話してしまいました。
その数日後にお見舞いが届きびっくりしてしまいました。
私はすっかり忘れていたのですが、その方が病気の時にお見舞いをあげていたようでした。
その方は内陸に住んでいて無事だったのですが、東日本大震災ではご子息のお嫁さんが無くなり、現在お孫さん二人を育てています。
私は震災後何度も電話をしていましたがつながらず、やっとつながった時には、お嫁さんは行方不明で、ご子息が避難所をくまなく捜し歩いたようですが見つからないと言う事でした。
その後お孫さん二人を転校させて面倒を見ていますが、本当に大変だと思います。
夢にもそのような事態が起きるとは思っていなかったでしょう。
それ以前の電話では、離れて暮らしているお孫さんが来るのを楽しみに待っているという話ばかり聞いていました。
そのようなことで、お盆も近いので、果物を送ることにしました。
果物が好きなのは前々から知っていましたので、お供えを兼てと思い探しましたら、季節の果物「岡山の白桃とニューピオーネ」をネットからお送りしました。
すぐに送ってくださったようで、お嫁さんにお供えをして、子供さんたちといただきたい旨の丁寧なお手紙をいただきました。
大震災の後何度も電話で話していますが、被災地は本当に大変なようです。
そのかたのお姉さんは石巻に住んでおられたので、いまだに仮設住宅だそうです。
石巻は海沿いに住宅や街があるので、とても悲惨で、行きたくないと言っていました。
遅々として進まない復興ですが、せめて避難生活から立ち直れる日が早いことを願って止みません。